短歌人同人1 その8 2017/2

2017.02.28.18:46

 地震。
 微細な揺れが二十秒ほどもつづいたと思ったら、すこしぐらぐらと来る。
 これは、遠くの大きな地震かもしれない。
 テレビをつける。
 福島沖を震源とする震度五弱の地震。
 あと十一日で、満六年。
 自然の時間尺は長い。
 地下のプレートにとっては、六年など一瞬の間で、リアルタイムそのものなのだ。
 はやく原発をやめさせなければ。


 六人の作者の歌、九首を。

 ひたすらに天ぷらそばを食べたしと思いつつ高速バスを降りたり
              西勝 洋一

 何故なんだろう。時が来ると、わたしも天ぷらそばを無性に食べたくなる。身体が油を欲するからか、蕎麦・天麩羅・汁、というなんだかDNAに定着した好みが、間欠的に噴き出すからか。人によって違う食べ物になるかもしれない。

 神谷バーの電氣ブランの甘き香にロマンチックをしてゐるこよひ
              三井 ゆき

 明治も、大正も、戦前も戦後も、斯くの如く詠った歌人が多くいたに違いない。それくらい神谷バーは古い。アララギ系の「青南」にいた頃、編集長ほか大勢で電氣ブランを呑みに行くという。わたしも予定していたのに、何かの都合で行けなくなった。そんな思い出がある。

 労働者諸君!と叫んでしまひさう満員電車のかたむきのなか
              宇田川寛之

 電車は、カーブするとき傾く。労働者諸君!の後、作者はなんと叫ぶ心算なのだろう。「立て!」「革命はどうした!」かもしれない。「おつかれさん。」かもしれない。作者の無音の叫びが聴こえる。

 青鷺は省略をして白鷲を見て来ましたと隣人に言ふ
              中地 俊夫

 この歌は、面白さもさることながら、こんなことを言う作者の頭の中を覗くような心持ちにさせる。不要な説明は一切せず、尖った鑓の穂先のように、言うことだけを言う。作者は、平凡という不可思議を自家薬籠中のものとしている。

 両の手に大根さげて来し人に大根もらひぬ視線が合ひて
              同

 名作。市井の人間の生活が活写されるという意味で、もはや中地さんが拓いた新しいジャンルと名付けてもよいと、わたしは思う。市井詠はどうか。目が合えば、それはそのまま無視できず、一本は差し上げざるをえない。

 大根は高いねと話しかけられて大根買わずに白菜を買う
              川田由布子

 こっちは大根が手に入らなかった口。買おうと思っている人に、そんな風に話しかける方も話しかける方だ。しかし誰が悪いとも言えない。だんだん分からなくなってきた。白菜が手に入ったからいいか。

寝姿の良きはうつくし三柱の遺影のしたに幼がねむる
              同

 これは孫が来て眠っている図。必ずしも鴨居に親や先祖の写真が斜めに飾ってあるとは限らない。箪笥の上に、なにげなく置いてある亡き人たちの写真かもしれない。三柱の遺影と言う作者の心の深さを、孫は知らない。

 神の手を持ちて生まれしミケランジェロ木の寝台のうへに眠りつ
              小池  光

 五百年、千年に一人、などというアーチストは神の手を持つ。日本なら、わたしは北斎と歌麿を挙げる。中国なら王羲之と牧谿。人によって違う。木の寝台というと、西式を想起する。わたしの父も西式をやっていた。

 ねむりより目覚めたるわれはエヂプトのスフィンクスのこと少し思へり
              同

 小池さんは、相当変わった夢をみるらしい。きっとエヂプト関係の夢をみたのだろう。その中で既にスフィンクスの謎を解いたかもしれない。結句に、えも言われぬ味わいがある。

短歌人同人1 その7 2017/2

2017.02.27.16:30

 月曜はビンの日。
 ガラスものを、ごみ集積場へもってゆく。
 寒い。
 道々に生えている草木、ことごとくしゅんとしている。
 メジロもヒヨドリもなんだか暗い。
 アジサイだけは若葉を出し始めている。
 伊豆原産の誇りがあるかもしれない。
 家に五か所。
 切り込んでも、背丈より伸びる。


 四人の作者の歌、四首を。

 再選を目指した鈴木さんがゐる結果を知らねばすばやく隠る
              藤田 初枝

 歌会で会う作者の動きはたしかに素早い。当選したか落選したか分からず、声の掛けようがないので、ここはさっと隠れる。処世に迷いがない。

 クレマチスのタイプの我は幻のMさんと話す料理しながら
              ふゆのゆふ

 クレマチスは鉄線。血液のタイプのように、花で分類するのだろう。日常の境目が希薄なタイプなのかもしれない。気にせずにそれを言うことが、世間の懐を深くしてゆく助けになる気がする。

 十一月七日の朝に初雪の降る音聞きぬ 腹を据えつつ
              石川 良一

 雪国に冬が来る。考えてみると、腹を据えて音を聞く、という場面はわたし自身には思いつかない。そう思うと稀有な話である。

 シスラーの娘はすでにおばあさんイチローの快挙に立ちて拍手す
              秋田興一郎

 「イチローを追ふ」の連作。今月で三回目。あの場面はよく覚えている。シアトルのフェンエイパークだったと思う、年間最多安打である。例えば、沢村投手の快挙をこんな風に描く歌があったらよかった。そう思えば、この歌を残したい。

短歌人同人1 その6 2017/2

2017.02.26.10:55

 うす曇り。
 海は墨を刷いたように静か。
 真鶴半島までは見えるけれど、その先の山地山脈は霞のなか。
 丹沢山はまったく見えない。
 裏庭に植えた河津桜はおわった。
 表の庭では、小さなマンサクがけなげに花を咲かせている。


 六人の作者の歌、七首を。

 スマホもたずパソコン碌に操れぬままに老いゆくわれら夫婦は
              宮田 長洋

 自分で自分に、碌に何々と言う。この「碌に」は、自嘲にとどまらず自恃も同時に含んでいる。滋味がある。

 ネットなんか無視すればいいと言いくるる口調迷いなき柏木進二
              同

 宮田長洋、柏木進二。短歌人でも、その人物の面白みは三本の指に入る(と勝手にわたしが決めている)。たとえ名前を知らなくても、現今迷いなくネットを無視せよという人には、そりゃ瞠目する。

 大好きな御両親の元にいつたのねさやうなら朝生風子さん
              山下冨士穂

 慰霊に向かって言う弔辞である。それを読み上げる代わりに、短歌として提出した。弔辞は、一度耳に聞かせて頂くだけである。短歌とすれば、斯様に文字となって残る。

 けんめいに死にたる姉の七七忌精進料理残してしまふ
              明石 雅子

 死ぬことは、一世一代の事業である。上の句はよく分かる。胸に沁みる。わたしたちはみな、けんめいに生き、けんめいに死ぬ、そういう存在なのだ。

 「絆」などはじめからあらずバイ菌と大人も子どもも言ひし五年間
              水島 和夫

 福島第一原発事故ののち、避難した福島の人たちは差別にあってきた。それを、作者は怒りをぶつけるように詠う。時事詠として、社会を穿つ歌をぜひ詠いつづけたい。

 犬顔の僧にて気障な咳払ひして法華経を唱へはじめたり
              長谷川莞爾

 多くの寺が、葬式仏教と言われ、堕落が常態化していると見られて久しい。しかしこのように批判的にみる目がある限り、それらの寺院・僧侶にも可能性があるに違いない。なにも言われなくなったらおしまいだ。

 隣人が市議会議員選挙(しぎせん)に立ち私は季節はづれのウグヒスになる
              庭野 摩里

 選挙カーに乗り放送をするウグイス嬢である。作者がそんなことをするとは夢にも思わなかった。強い行きがかりなのだろう。戦後復興期の衣装をまとったまま、ウグイス嬢という言葉は生き続けている。

短歌人同人1 その5 2017/2

2017.02.25.15:22

 隣家の裏庭の花海棠が満開。
 いつも早めに咲く。
 同じバラ科なので、桜とよく似ている。
 真っ赤で、花が少し小さい。
 花期は長い。
 裏は、家もなく下り斜面なので、この花を見るのは隣家の主とわたし達だけ。
 メジロはちょくちょく来る。
 猪も狸も、通りすがりに、
 「おお、赤いなあ。」
 と、見ているかもしれない。


 六人の作者の歌、八首を。

 えんとつに製糖(株)と書かれてるのを読む前と読んだ後のけむり
              斉藤 斎藤

 わたし達は大概、不完全燃焼の後に微粒子を含んで立ちのぼる気体を、煙として見ている。黒い色が付いていると、悪い微粒子を想像する。それが製糖所だったら。なんだか甘い煙のような気がしてくる。ひとは言葉で生きている。

 同人誌買ってくれたけど千円払ってくれなかったひとの歌集がとどく
              同

 最初、買うで戸惑う。これは「手腕を買う」の買うだと分かる。少しけむに巻かれる。金銭と言うものは、短歌社会にあってもけじめが大切である。なあなあではいけない、という作者の警告が込められている。
 
 月曜の労働おえて布のように疲るればうすくらがりにゆく
              内山 晶太

 よく分かる。だいたい日本は明るすぎる。なんでもかんでも浩々と照らす。家庭の光量も仕事場のようである。休日の翌日、身体はくたくたに疲れ、神経の冴えた状態では、薄暗がりがとてもやさしい。

 袋よりかくも無邪気に勢ひて玉蒟蒻が滑り落ちゆく
              斎藤 典子

 玉蒟蒻をかくも丁寧に詠った歌を初めて見る。それだけで既に価値がある。あの弾力、水と一緒に滑って落ちて行く感じ。過不足のない歌で、あまりコメントすると今夜の夢に出てきそう。

 いひたらざりしかと悔ゆれどもいひすぎて臍(ほぞ)かむよりはよからむ 寝ねむ
              蒔田さくら子

 この悩みは、わたしも同類だなあとつくづく思う。ただわたしの場合は臍ばかり噛んでいる。達人が齢を取って仙人になるというのは幻想で、いくつになっても悩みは尽きない。

 足のつめ明日こそ切ろうとつま先で思って眠る今日で五日目
              谷村はるか

 普通、ひとは爪先で思わない。そこが面白い。女性はストッキングにしてもなんにしても、着用している物が重層的にあるわけで、足の爪をきるのは計画性と決断が要る。

 「短歌人」に冨樫由美子の名がありてけふの日暮のビール楽しむ
              高田 流子

 冨樫由美子という、長く見なかった名前を誌上に見つける。ひとが戻ってくる、そして元気であると知ることは、なんにしても嬉しいことである。誌上を通して、気持ちが通じて行く。

 青鷺は悪者めいてふてぶてしく睥睨したり暮れゆく秋を
              同

 鷺にたいする見方は、人によってまことに違う。悪く言う人は少数派である。わたしは作者と同じ少数派。特にゴイサギなどは、全く品のない鳥だと思っている。いつか、作者と鷺談義をしてみたい。

短歌人同人1 その4 2017/2

2017.02.24.11:12

 裏庭に、河津桜を植える。
 一メートルの苗木。
 三年後に花が咲くという。
 三年日記は怖ろしい気がするが、木の三年はちっとも怖ろしくない。
 表に植えたマンサクも、無事についた(と思う)。
 毎朝、マンサクを確かめる。
 マンサクの咲く家に住むのが、自分の一生の願いだったような気がしてくる。
 それが大きな樹になるまで、見届けなければ。


 四人の作者の歌、六首を。

 そのへんに向きてわが言ふ疾くわれを連れよ いづへにかわれは行かねばならず
              酒井 佑子

 連作によれば、姫路の夏季集会へ向かう途中、名古屋駅でなんらかの事情で新幹線に乗れなくなっている。しかし、その背景が一切分からないとして一首を読んでみる。すると瞬時に時と場所を超える。イスラエルの砂漠かもしれず、ガンジス川の畔かもしれない。そのへんに向きて、などと言える歌人はもはやちょっと見当たらない。天にか、見えない魂にか、作者は訴えている。この歌は、つまり観念の抽象度がきわめて高いのだ。

 三十九日ぶり電車に乗りてわが足のよろこぶことよ電車走る
              同

 作者は臼蓋形成不全を病み始めた。なんとか駅に辿り着き、電車に乗れば、足の代わりに電車が軽快に走る。嬉しい。一日一日作者は不自由な日々を数え続けたのである。そして三十九日ぶりに。助詞を削った結句の一音欠損は、感情の強さと緊密感を伝えて来る。

 ゆっくりと静かにしかし確実に妻と老いゆく時間と空間
              生沼 義朗

 下へ向かってどの年代までこの感懐がしみじみ生じるものであろうか、と考えるわたしの感覚がすでに古いのかもしれない。しかし、考えるとわたしの齢では、こうは考えない。つまり自明のものはある種自然である。各年代に、思うところがあるに違いない。

 ビートルズを蟹の姿に変へしうた時代を背負ひ投げしたるひと
              本多  稜

 この歌でいうひとは、仙波龍英。作者は新宿ゴールデン街で飲んでいる。仙波が時代を背負い投げしたとは、作者独特の把握で、ちょっと嬉しくなる。「技あり」だった。

 ダイバーシティお台場裏にガンダムは立ちつくしたり廃兵として
              藤原龍一郎

 おたくもフィギアも、それを商業効果として巨大販促する企業も、一緒くたに風刺している。廃兵という一語が光る。

 少年憲兵走りて少女特高が老パルチザン追いて殺して
              同

 唐十郎の赤テントそのままである。あのときは鮮烈であったものが、いまは現実がはるかに先を行っている。ISの少年少女兵はおろか、幼児幼女が戦争の表に出される。差別万能を高らかに歌い上げる大統領がでてくる。現実世界が危うい。

短歌人同人1 その3 2017/2

2017.02.23.16:18

 すこしずつ、近づく。
 クロマニョン人の気持ち。
 暗闇の洞窟のなかに、なぜ千体にものぼる動物画を、線刻し彩色しつづけたのか。
 何代、何十代にも亘る仕事。
 じぶんたちの種がいつか消えることを、クロマニョン人は知っていたのではないか。
 二万年の後、二万年後の人類がその絵を見る。
 わたしも。
 ラスコーはボルドーに近い。


 六人の作者の歌、六首を。

 「売物件」いつしかなじむ看板の二枚がありてわが隣組
              林  悠子

 小さい頃は、町に売物件の看板など一枚も見なかった。今は、都市も田舎も空き屋だらけだ。売買の物件にさえならない。売物件の看板は朽ちている。作者の町はまだ良い方で、人の気配が濃厚にする。

 お櫛田さんにて神前婚の一族の脇をすり抜け道を急ぐも
              西川 才象

 神社仏閣で結婚式の列に出会う。出会う人の反応は、さまざまに分かれる。作者は、急いで脇をすり抜ける。その気持ちも分かる。

 退勤の車のなかで泣くわれの平均余命四十五年
              高澤 志帆

 「あと四十五年しか生きられない」と悲嘆して泣いているのではない。何かしらの理由で泣き、後に歌にするとき、下の句を付けたのである。今の自分の歳を言うのを憚って、代わりにこの言い方にしたと、わたしはとる。

 千円分のレギュラーガソリン入るる間を流れてゐたりPPAP
              洞口 千恵

 どんな人かと見ると、ピコ太郎はまことに慇懃である。慇懃な人間があれをやる。だからPPAPがあれだけ面白い。金額でガソリンを入れるのは、わたしが日本に広めた気がする。最初はだれもそんな入れ方をしていなかった。

 左足の小指の爪がことのほか切りにくくなり秋から冬へ
              杉山 春代

 事の内容を試してみる。左足の小指の爪を切るには、右利きのわたしの場合、上体を左にひねる必要がある。それも相当強く。作者も右利きに違いない。齢は少しずつ柔軟性を奪ってゆく。冬は着ているものも多い。

 ひと月も前より両の目の手術怯えつつ来て師走に入れり
              青輝  翼

 酒の席で吉川宏志さんに、短歌人でどんな名前が思い浮かぶか、と聞いたら、青輝さんの名前が真っ先に出てきた。そうか、と思ったものである。目はどうなったのか、次号を待たなければならない。

短歌人同人1 その2 2017/2

2017.02.22.12:33

 クロマニョン人に会いに行く。
 上野のラスコー展、最終日。
 満員。
 精巧に造られた、巨大なレプリカ洞窟に入る。
 暗い洞窟で、ランプを頼りにクロマニョン人が描いた壁画。
 二万年前のランプ。
 さまざまな顔料。
 壁画動物の動く仕掛け。
 クロマニョン人。
 他人とは思えない。
 わたしたちに直截繋がっている、そんな気がするのに、クロマニョン人は滅びた。


 五人の作者の歌、六首を。

 この年も実家にわれら集まりて干し柿作る 母ありてこそ
              関谷 啓子

 関谷さんの実家は、たしか雪深い十日町辺りだったと思う。親がいる間は実家がある。ありがたいことである。きっと美味しい干し柿ができる。

 やや深く爪切りたれば昨日今日ものに触るると指さき寒し
              真木  勉

 なんだか寂しさが滲む。どんなことも明るく捉えるやり方もある。合気道では、指先を意識して活動すると疲れないという。肩こりなどは消えるらしい。

 年取つたねえと鏡の女にいふときに鏡の女はすこし怒りぬ
              西村美佐子

 歌会での西村さんの発言は、常に刺激的である。常人の思い及ばないことがどんどん出てくる。その人が、殊勝にすこし怒っている図。だれでも齢を取る。
   、、、 
 女、おんなとこゑに聞けばいつもいつも頬を叩かれたやう
              同

 完全に自由律。それがふっと短歌人誌に混じるところが面白い。しかし、読んでみると違和感がない。流れるように読まされる。描写に意表を突かれ、韻律がすっかりけむに巻かれる。女と一括りに呼ぶのは男。

 冬キャベツ細く細くと切りおれば止まずなりたりボールいっぱい
              木曽 陽子

 おとこのわたしにしてみれば、女性というものの一端が分かり、興味深い。それだけ切れば、トンカツでも食べなければ済まない。歓迎する。

 武蔵野線凸版印刷工場の敷地を分けて鉄道はしる
              柏木 進二

 調べると、埼玉県新座市の凸版印刷朝霞工場である。見事に工場を二分して武蔵野線が走っている。歌は、事実だけのようでいて、読後になんだか懐かしい気持ちが湧いてくる。結句の力が大きい。
 
プロフィール

Author:chitetsu
長谷川知哲
短歌人同人/子の会

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