All you need is love.

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これはメッセージである。
ぼくの応えは、
 Yes, you are quite right! 

よしこがデザインして染の工房に染めてもらった引き出物。
似顔絵がそっくり!

馬橋稲荷神社

おごそかで、心の籠った神式の結婚の儀式に感動した。

すでに入籍を済ませている娘夫婦は、この神社の神主さんから5時間に亘って神式結婚式の心構えを説いて頂いたということであった。それが、この神社で式を挙げる条件とのことで、あらかじめ勉強の機会が設けられている。

一日一組だけの結婚の儀式。

ぼくら両親親戚友人知人が、神前に打ち揃ったのち、その場でおよそ半時間、儀式の意味、やり方についてお話を頂いた。玉串とは、魂をのせるもので、自分の一心の思いを載せて、祭壇に捧げるのであり、柏手の柏とは、人と人の繋がりを表すもので、音を発して清めるものであると。その際、双方の父は祭壇に進み、二人で心を合わせて手を打たねばならない。それを後ろから、すべての参列者が、こころを一つにして、同時に手を打たねばならない、そう教えていただいた。

神主さんのこのお話がまことに素晴らしく、聞いているだけで太古から今につながる日本のこころと言うものに触れる思いがしてきて、あとで大勢の人が同じく感激したと述懐していた。

しかし、その場ではとにかく、柏手を打たねばならないという役目を負って、お話を聞いたがために、そうとう緊張して祭壇に進んだのであった。向こうからは婿さんの父が進んできた。

二人の多幸、会衆者の御多幸を、じっと魂を串に載せるがごときに祈って、玉串を捧げる。
二礼する。
二人の父は、ほぼ合っている。

両手を開く。
隣り合って立っているがために、手が触れる。
この柏手の瞬間を、全員が心を一つにして揃えねばならない。
ぱーんと打つ。
父と父は揃った。

そのとき、堂のなかに柏手の一音が、響き渡った。
また、一音。
二拍は、まことに心が揃って、打たれた。

感謝の一礼をなす。

席にさがる。

神主さんは、微笑みながら式を進める。

三々九度の儀が行われる。
こころが一つになったものだから、すべてがスムーズに、心が籠って
儀式がまことにこころよい。

吾が娘ながら、それ以降の披露宴の段取りなどは、質素ですべて手作りで、感激しました。
来てくださったよしこの友人たちが、みんな個性的でおしゃれで、そして魅力的だった。

またとない、儀式、機会をプロデュースしきったむすめにしゃっぽを脱いだ父でした。
すばらしかった。

よし子の結婚

明日はよし子の結婚式が、阿佐ヶ谷の神社で行われる。
ふるい神社だそうで、奥殿は文化財になっているという。

夫となる青年の親と親戚が、九州の南端から大挙して来てくださるという。
初対面である。

アメリカのぼくらの貧乏時代に生まれたよし子が、結婚する年になった。
永住権を申請しながら、アメリカの平和運動に打ち込んで、友人たちのサポートで
間借りをして、アメリカ人の産婆さんに出産をみてもらった。
そのころは、ミッドワイフ(産婆)での出産は非合法で、ぼくらは地下のチャンネルから
ミッドワイフを探して、自宅で産んだのだった。

まだ、英語も習得途上で、ミッドワイフの主宰する出産教室に夫婦で通ったが、
半分くらいしか説明も分からず、苦労した。
しかし、妊婦の運動や、出産時の呼吸法はよく学んだ。

一緒に呼吸法をしながら、陣痛の時間を過ごした。
よし子は、まことに簡単に螺旋状に産道をくぐり、難なく生まれた。
生まれて5秒ほどは、赤ちゃんは青白く光っている。
うちの子三人がそうであったから、きっと、誰でもそうなのだと思う。
三度とも、生まれた瞬間は、感激して涙がでた。

三人とも、アメリカで、間借りをして、ミッドワイフに取り上げてもらった。
日本に帰ってきてから、家族で東京のアメリカ大使館に出向いた。
出生証明書を提出して、こどもたちは宣誓の上、アメリカのパスポートを貰った。
すべて、家内が生きているときのことである。

そのよし子の結婚式に、明日は東京へ行く。

「五味保義とアララギ」その後

評論を読んで、短歌人の何人かの方からコメントを頂いた。

川井さんからは、的確な批評を頂き、末尾には興味深いエピソードも添えてくださった。
そのエピソードを引用させていただきます。


”岡井隆さんの両親は「アララギ」の同人(名古屋)で、岡井さんのお父さんはノリタケ製陶の重役でした。 岡井さんも歌を始めていて、斎藤茂吉が亡くなったとき、五味さんが岡井さんを伴って葬儀場に行き、「君受付をやりたまえ」といわれて受付をやったという話を、岡井さんから直に聞きました。 五味さんは非常に面倒見の良い人だったそうです。”


五味さんに関する文章といえば、昨年亡くなられた歌人の宮地伸一さんが第一であろう。宮地さんは、アララギ終刊後に、いち早く後継誌として新アララギを創刊した。

五味保義が大泉師範学校の創設に関わったことは、文中に書いたが、宮地伸一さんはその師範学校を卒業している。
今回の評論は、幾らかでも宮地さんの触れなかったことを掘り起こしたいという、密かな気持ちもあって、書いたつもりである。

短歌人の藤原さんと酒井さんが、気づいていなかった点も書いてくれたと言って下さったことも、嬉しかった。
酒井さんは、新アララギの五味さんへ対する敬意を知ってらっしゃるのだと思う。評論の掲載された5月号を新アララギの知人へ差し上げることにしていると、仰ってくださった。

五味さんを研究している方々に読んでいただけるのは、もっとも嬉しいことだ。

「五味保義とアララギ」

短歌人誌5月号に「五味保義とアララギ」の題で、評論を書きました。
本誌4ページの短文ですが、戦中戦後のアララギを支えた近代歌人の一人について書いたものです。
その果たした役割に比べて、あまり知られていない歌人です。

以下のリンクでどうぞ。
切磋評論

日本短歌雑誌連盟 評論賞

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表題の組織には、短歌の歌誌を発刊している日本中の多くの結社が参加している。
昨日、その春期総会があり、二つの賞の授賞式があった。

この会は、いつも有楽町、数寄屋橋隣のニュートーキョービル9階と決まっている。
ぼくも縁があって、三度目である。

特別功労賞に久保田フミエさんが。
第一回雑誌・評論賞に短歌人の西村美佐子さんが。

西村さんはぼくらの仲間なので、大勢がお祝いに駆け付けた。
この雑誌・評論賞は画期的な賞だ。

評論賞と名付けられた賞はいくつかある。それはすべて本として出版された著作物を対象にしている。
この短歌雑誌連盟の賞は、短歌結社誌のなかで、連載等で掲載された、あるいは掲載中の評論を対象にしている。連載等、というところの意ははっきりお聞きしていないが、まとまった分量という意味かと思う。

これまで、そのような評論賞は存在しなかったから、まさに画期的である。
選考委員は香蘭の千々和久幸さんと、短歌人の藤原隆一郎さん。
西村さんは、折口信夫研究の評論で受賞された。
断続的に短歌人誌に掲載されている評論で、すでに相当の分量になっている。
短歌人では、その歌のすばらしさとともに、気鋭の論客で、受賞がとてもうれしい。

短歌雑誌連盟のみなさんは、平均年齢が相当高く、会場のなかでは西村さんがたぶん一番若くて、華やかだった。
青いドレス風のワンピースがとても素敵だった。
懇親会の中締めのあと、一階のビアホールで短歌人の仲間が集まり、西村さんを囲んで祝杯を上げたのであった。

他生の縁 3

長良川の支流、吉田川が、郡上八幡の町を東西に流れている。

城のある山から下りてその川に至ると、新橋がある。その周辺から上流の八幡橋まで、両岸には何か所も巨岩がある。
2・3メートルのものから、4・5メートルのものまで岩場が続く。
郡上の子ども達は、夏場にそこから飛び込んで遊ぶのである。
高さによって、ここは小学生、ここは中学生などと、おおよそ決まっていて、
こども達の度胸を計り、そして育てる、大切な川だ。
8メートルの高さの八幡橋からは、中学生が飛び込む。

12メートルの新橋の欄干にもたれて、濃緑の淵になっている真下の川を見下ろしながら、
しばらく気持ちの中で試してみた。
徐々に両岸の低い岩から慣らしていって最後はここか、と誰にも言わず気持ちの中で思うだけで
どきどきした。

吉田川の、そのまた支流の乙姫川にそって歩く。
郡上の町の奥へどんどん入ってゆく。

前方に青と白の幔幕が見える。紅白ではない。
神社のようだ。
近づいてみる。
手をかざして見れば、左京神社とある。稲荷社である。

社そのものは小さい。
その前の小さな参道いっぱいに、15人ほどの大人が座っている。
地面にテーブルが設えられて、食べ物飲み物が並べられている。

「なおらいだ。」と勺さんが小声で叫ぶ。
神事の後のお浄めか。
それでは、観光客然としたぼくらが、無神経に近寄ってはいけない。
すこしだけ近づく。

そこに集まっているのは60代、70代の男性のみだ。
近寄ってきたぼくらに気づいた一人が、こちらを見た。
ぼくと目が合う。
微かに微笑したように見えた。

ぼくはなんだか温かい気持ちになって、みんなと一緒にそこから離れた。

次の角まで歩くと、神社の所縁を示す看板に出会った。
1行の記載であるが、「一揆ゆかりの神社」とあった。
そのひとことで、ぴんときた。

ああ、あの人たちは一揆の末裔なのだ。

なにか熱いものが気持ちの中に生まれて、ぼくをみてほほえんだ年配のひとの一瞬の気持ちを
感受した気がした。
他生の縁なのだ。

町にながれる時間、土に潜む記憶、人々の持ち続けてきたもの、
そんな郡上の風景の奥にあるものを感じながら、仲間となお歩きつづけた。






これでは、歌会まで辿り着かず、晴れがましい夕食や、それにつづく手作りの深夜サロン(これは短歌人特有の伝統である。)も、どうだったのだということが残る。しかし、参加したあのひともこのひとも、この郡上合宿について、あちこちで書いている。子の会冊子には、別の執筆者による合宿記と歌会記が掲載されることになっている。夏の全国集会ではお分けすることができるはずである。そちらに譲ろうとおもう。

他生の縁 2

車は5分ほどで坂を上り始めた。
頂上にお城が見える。
郡上八幡城。
瀟洒な天守閣が森の間に見え隠れする。

眼下に巨大なお寺の屋根が。
きっと郡上最大の寺院にちがいない。本願寺派特有の大屋根に見えると思って聞いたら、まさに。
大谷本願寺派、安養寺という。
当てずっぽで、あんにょうじ?と言ったら当たっていた。

万葉集をしばらく研究すると「まんにょうしゅう」と呼び始め、
なお研究を進めると「まんようしゅう」に戻ると、ぼくの高校時代の漢文の先生が言っていたのを思い出しただけなのだが。

満開の桜の中をホテルに到着する。
みんな荷物を持って中へ。
この小高い山の中腹に立つ、ホテル積翠園。素敵な明るいホテルだ。
広いロビーで会計が会費の徴収を始めている。
ロビー併設のコーヒーショップを見つけて、何組かは早々とお茶をしている。
こういうところが、大人だなあ。

チェックインにはまだ早い。
荷物を一か所に預けて網をかけてもらい、いよいよ町へ吟行に繰り出してゆく。
だれもいなくなったロビーで、世話人5人で、コーヒーを飲みながら、打ち合わせ。
小一時間の後、ぼくらも町へ。

ぶらぶら坂を下ってゆくと、しだれ桜の大木が。まさに満開だ。
地図も何も見ない。
現地世話人の麻亜子さんが一緒だから、付いてゆくだけだ。

街並みがしっとりしている。古い。シャッターを閉めて閉店している店は一軒も見えない。
生活がそのままある感じだ。道が贅沢だ。町の中の道と言う道が、「洗い出し」という工法で舗装されている。
これは、コンクリートを一旦固めた表面に、粒ほどの小石を敷き詰めて、コンクリートを薄く流し、その上で、小石の上部面だけが露出するように、表層のコンクリートだけを洗い流して除去するのである。
例えば料亭の玄関の三和土はだいたいこうなっていると言えば、イメージが湧くかもしれない。
費用のかかる工法なのである。
町中ほとんどすべての道がこれであるのには驚いた。
なんと贅沢な町か。
観光客はあまり気づかないで、快適に歩いているだろうと思う。
雨にも強い道である。
雨は小石の間に入り、道に雨水がたまることはない。道が濡れた感じがしないのである。

小道へ入る。
たっぷりと水を湛えた疎水が流れている。
なんと真鯉、緋鯉が泳いでいる。
ところどころに、疎水に板が渡してある。柱と屋根が付いている。
これは「洗場」(あらいば)といって、住民が野菜を洗う場所である。
板や、柱、屋根は年季が入って古びている。

家々の間にはあちこちに手押しの井戸があり、いたるところに「火の用心」と書かれた防火バケツがぶら下がっている。家々の表の結構、西洋風に言えばファサードであるが、すべて日本風の昔のままに維持されている。

町なかに散った吟行の仲間たちと、あちこちで鉢合わせする。
みな、興味の赴くままに、とどまる場所が違う。
MEGさんは見ないなあ。
彼女は彼女のお目当てがあるのだろう。

あ、蒔田さんと水谷さん、いましも洋装店に入ろうとしている。
蒔田さんの一瞬の買い物は有名だ。旅先で10秒で靴を買ってしまう方だ。

勺さんが写真展をめざとく見つける。
6人で入る。
見て居るうちに、主催者と話始める。作者がそこに居た。紹介を受ける。
なんと、90歳のまことに矍鑠としたおじいさまである。
郡上八幡の歴史的な写真を生涯収集してこられた方であった。
明治の大水害。
大正6年の大火。

とくに大正6年の大火について、訥々と語っていただいて、感銘を受けた。
600軒の家が焼けて、町の半分が消えた大火である。
ああ、そうか。
町の至る所にある防火バケツの意味が分かった。
大火の記憶が語り継がれ、用心のこころが伝えられてきたのだ。
おじいさまとお別れし、記念に写真も撮らせていただいた。

再び町へ。

つづく

他生の縁 1

長良川鉄道にはじめて乗った。

美濃太田では24人が集合した。懐かしい人も、よく会う人も、初めての場所に遠く来て会うのはまた格別だ。
わいわい言いながら、JRの美濃太田から、第三セクターの単線ホームへ。

ぎりぎりに来る人たちの分も含めて、お昼の松茸釜飯をいくつ買っておくか相談する。
団体切符の人数確定を、長良川鉄道出発時間の5分前まで待つ。
「遅れます」、「あ、間に合いそう」、入り乱れてメールがケータイに入ってくる。

集合出発というものは、そんなものだ。
4分前にJRの改札口から出てきた、蒔田さんや平野さんほかの一行を、なかば誘拐犯のように有無を言わせず長良川鉄道ホームまで導く。みんな、なんやかや話しかけてくるが、聞く耳もたず。あと2分ででる〜。

予定の24人が、あちこちからちゃんとここに集まってくるのがすごい(と世話人のぼくは思う)。
かなり、辺鄙(といってはまことに失礼であるが)なところである。
それも、西は山口、島根、徳島、京都、奈良から、東は埼玉、東京、千葉、長野、神奈川、静岡から、それに地元近県を含めた人々である。

はじめは普通の田園、住宅地帯であった。
ん、と思いつつ、難読駅名などをいくつか読みながらしばらくゆくと、
ついに、長良川に遭遇。

聞きしに勝る、景勝が、川にかかるたびに現れる。
2両編成の先頭で、マイクを持った車掌さんが、リアルタイムで説明をしてくれる。
景勝箇所のたびに、電車の速度を落として、進んでゆく。

田んぼのなかに雉を見た。
沿線の大きな瓦屋根の家にうだつを見た。
桜はほぼ散っている。

ランナーが土手を走っているのが見える。
なんと岐阜から五個荘を越えて、日本海の富山まで数百キロを走破するマラソンランナーたちであった。

郡上八幡駅に着く。
ホームから、黒光りする木製の跨線橋を渡り、出口へ。
ここで、現地受け入れ世話人の三島さんと感激の再開。
みな抱き合っている。

ぼくらは、子の会吟行合宿として、この郡上八幡にきたのである。
総勢30名。
これで、網代の自宅で開催した会をいれると5回目となる。

駅をおりれば、驚きの光景が。
桜が満開なのだ。内陸で温度がいくらか低い性であろう。
町のいたるところに、祭りのお囃子がきこえる。
だいたい、お天気は雨の予報が曇りになってくれて、ほっとしていたのだが、
現地へ来てみれば、なんと快晴になっていた。

桜も、お祭りも、青空も、すべて偶然の一致で、なんとも晴れ間がましい、嬉しい気持ちに満たされて
みんなでホテル差し回しのバスに乗り、ホテルへ向かうのであった。

つづく

郡上八幡吟行合宿

明日は早朝に家を出て、みんなで美濃太田に集合する。

半年かけて準備をした、郡上八幡の歌会である。
ぼくらは、短歌で繋がるささやかな会をやっていて、子の会という。
このかい、ではない。
ねのかい。子年に作った会だから。

通常はWEB歌会だけど、年に一度、あちこちから集まって、一泊の合宿をやるのである。
ことしで4回目となる。
今回は山口、島根、徳島、奈良、京都、三重、愛知、静岡、神奈川、東京、埼玉などなどに住む人たち、
普段なかなか会えない人たちと会える。

短歌人を中心に潮音の人もくる。

美濃太田からは、長良川鉄道という極めつけのローカル線に乗ることになっていて、
これが、わくわくする。

子の会はいま20人で、満杯である。
短歌歴もみんなしだいに、なっとうのように延びてきて、
それぞれが、それぞれの仕方で活躍する時期だ。
自然に作って、いつのまにかちゃんとした(?)会のようなかたちになっている。
さほど考えずに過ごしているのに、歳をくうと、ものが自然に出来てくるものだ。

マッコリをもって長良川鉄道へ乗り込む仲間もいるし、
酒のみにはとても優しい会である。

さあ、早めに寝て、明日に備えよう。
プロフィール

Author:chitetsu
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