2017/11/24

短歌人同人2 その5 2017/11

 風が吹く。
 海に白波が立つ。
 こんな日は、空気が澄んで眺望がよい。
 三浦半島まではっきり見える。
 布団を干し、洗濯を二回。
 隣家の猫がルーフデッキを横切ってゆく。


 六人の作者の歌、七首を。

 百日紅の白があるから耐えられる最高気温練馬区の夏
             平井 節子

 地名の入れ方が面白い。しかし、練馬の夏を知る人だけがこの歌を体感できる。練馬は(地元の人には悪いけれど)夏の間悪い風が吹く。その風が運ぶ暑さは半端ではない。それ以外はいいところ。

 雑巾を掛けつつ下る階段に夏の重さを拭い取りたい
             黒崎 聡美

 思い切って始めると、雑巾がけは気分がよい。日本固有の掃除法。アメリカには無い。作者は拭きながら階段を下る。この際、夏の残滓も全部ふき取る、そんなつもりで下る。

 教えられ動画ABE IS OVERを見て蒸し暑さすぐに吹きとぶ
             若尾美智子

 大阪のシンガーがLove is overの曲に載せて歌った安倍内閣批判の歌。Utube。映像もよく出来ている。ただ、原曲のイメージが強いので、内容如何に関わらず替え歌は簡単ではない。

 金日成(キムイルソン)、金正日(キムジョンイル)、そして金正恩(キムジョンウン) その子金主愛(キムジュエ)四歳となり
             長谷川知哲

 初代からイルは二代へ、ジョンは三代へ受け継がれ、四代の子はエで結末を迎えるのか。不思議な独裁家族。帽子も服も髪型も、彼の国は不思議が多い。

 犬は人に猫は家につくといふ而して人は 掃除機かけむ
             弘井 文子

 謎。人は、郷里かもしれないし、家族かもしれない。つかない選択肢もある。それはそれとして、作者のように掃除機をかけようか。

 お盆なる新潟競馬「カミノコ」や「ラジオタイソウ」出走したり
             松木  秀

 競走馬の名前は、その国の知性を象徴しているのだろうか。それとも究極のユーモアか。馬は、ラジオタイソウと呼ばれて、ガクッと来ないものだろうか。馬主が見たい。

 人類の滅亡を好材料としてAI(人工知能)が株買い占める
             同

 これは真実で、現代のトレーダーはすべてAIに替わっている。すると株の動きを見て、量子的な速さで取引を行う。人では不可能。上の句が鋭い。現代の最先端を詠う歌。

2017/11/23

短歌人同人2 その4 2017/11 #短歌

 息子の引っ越し。
 次のアパートを見つけるまでの間、家に居候することに。
 隣町から、二人で大物を運ぶ。
 向こうも階段、こちらも階段。
 汗をかく。
 事前に、冷蔵庫は横にしてもいいのかどうか、ネットで調べる。
 縦に戻して一日置けばいいとあるので、自家用車で運ぶ。
 細かいもの軽いものは、既に息子が何度も往復して運んである。
 「これだけあれば、すぐにお嫁さんもらって生活できるね。」
 と彼に言う。
 「相手がいればね。」
 と息子。
 最初はなんという量の所帯道具かと思ったけれど、彼が節約しながらこつこつ買いためた大切な道具なのだと、はっと気づく。
 見る目が変わる。
 朝の雨もあがり、暗くなる前に無事終わる。


 五人の作者の歌、五首を。

 天職と思へるやうになりましたと瞳澄みたる人力車夫言ふ
             高山 路爛

 作者は浅草で人力車に乗る。人力車夫という言葉がまだこの世に生きていることが嬉しい。車夫は十年余この仕事をしているという。今の世でこんな言葉を直截聞けるのも作者の徳。

 金曜の夜の花屋に飛燕草を三本買って さみしくはない
             魚住めぐむ

 飛燕草を調べる。南ヨーロッパ原産の青いきれいな花。さみしくはない、というのは寂しいから言う。三本買っての後、一字明けで繋がる感じは、さらりと今の自分を詠っている。

 打ち直しの綿のせながら布団作り姉さんかぶりの母若かりき
             安藤 厚子

 自宅で布団の打ち直し。今は見ない。微笑ましい昭和が目に浮かぶ。アメリカには布団屋が無かったので、二度布団を作ったものだ。一回は初めての子のための小さな布団。

 札幌行きの高速バスに乗りこめば見知らぬおバアさんが隣に座る
             桑原憂太郎

 見知らぬおバアさんと、敢えて言う処が面白い。そもそも見知った御婆さんが隣に来るわけがない。北海道人は、バスに対する感覚が違って、利用度も高いのだろう。

 もろこしを蒸(ふか)して妻と食ひにけり取りたてなればうましうましと
             永井 秀幸

 永井さんは長野。わたしの生まれた新潟も、蒸(む)すとは言わず、ふかすという。この歌の結句などは山頭火ばりの正直さ。仲の良い夫婦が目に浮かぶ。

2017/11/22

短歌人同人2 その3 2017/11 #短歌

 短歌人静岡歌会へ。
 はじめての熱海開催。
 遥々、郡上八幡から三島麻亜子さんが来てくれる。
 東京、神奈川からも。
 会場は起雲閣。
 広々とした本建築の和室で、歌評も弾む。

 太宰治は、山崎富栄と入水自殺する二カ月半前、起雲閣別館で「人間失格」を書いている。
 三十九歳だなあ、と手入れの行き届いた日本庭園を見ながら思う。


 五人の作者の歌、五首を。

 この町にいちばん高いものとして日日(にちにち)われが見上げるポプラ
             時本 和子

 言葉を通して、作者の手触りが伝わってくる。つまり、日々の振る舞いが、とても自然に語られているためにそんな気がしてくる。単純なようでいて、よく出来た歌。

 へとへとの夏の午後には極上の丹沢あんぱん袋より出す
             川井 怜子

 へとへとの夏の午後、人は何をするか。そう思うと作者は実に個性的である。へとへとの疲れに負けるものかとばかり、極上というのが、なんとも効いている。

 笑みかわし露天をたたむインディオの母娘は赤い夕日の中に
             井上孝太郎

 題はラパスとある。ボリビアの首都。中米から南米にかけて、インディオの文化は、衣食住を含め今も栄えている。服にはほぼ必ず藍色も赤色も使われる。夕日によく映える。

 空蝉の背中の裂けめのようなものわれにもあると知りながら、笑む
             中井 守恵

 蝉の脱皮、あるいは魂の抜けた状態。空蝉には二つの意味がある。裂け目からは、いずれにしてもその行為が為されていることが暗示される。しかし、作者は笑む。裂け目は裂け目として。

 藪枯らし屁屎葛(へくそかずら)に葛の花ゆるい傾りに繁茂しており
             森下 美治

 植物が元気に繁茂しているとは、野生のまま育ち放題ということ。三種の名称が野生の強さをイメージさせて面白い。そんなところには、往々にして棘のある植物も茂る。調べのよい歌。

2017/11/21

短歌人同人2 その2 2017/11 #短歌

 スケボー。
 Skateboard。
 のろのろ滑るだけで、随分おもしろい。
 はじめっからすいすいとは行かない。
 左足を前に乗せ、右足で地面をほんの少し蹴る。
 或いは漕ぐ。
 これが嬉しい。
 ときどき転ぶ。
 派手に転ぶ。
 痣ができる。
 手袋は必須。
 ライバルは、妻。


 六人の作者の歌、七首を。

 疲れ果て畳になりたいと言ふ友のわたしは縁の下になりたい
             春野りりん

 疲れ果てた人に、如何に寄り添うか。畳になりたいという友も詩心のある人だけれど、作者は縁の下に。宮沢賢治を彷彿する。こちらにまで、有り難い気持ちが降りて来る。

 婚活をまだつづけてる蝉の声、妊活半ばに死ぬ蚊の娘
             砺波  湊

 婚活、妊活に関わる年齢でなければ詠えない。その上、蚊の娘。蚊の死因は不明だけれど、こんな風に蚊を詠った人を知らない。現代の言葉を巧みに遣った歌。

 アフリカ象はな子は児らにおほき尻向けたるままに排便したり
             取違 克子

 幼稚園児は、うんこしっこをけたけた笑いながら言う。その大人版のようなもの。大人は笑わない。冷静に見る。しかし、内心、そのテーマが受けている。

 お荷物はアミダナへとのアナウンスどこにあるのか網なる棚は
             荘司 竹彦

 電車の網棚は、言葉のトマソン。貴重な現象である。何事も合理で済ませるのではなく、トマソンをトマソンとして敬う。わたしはそう強く思う。作者にも、是非そんな風に一考を願う。

 「落石に注意」とあるが運転中いかな注意をしろと言ふのか
             同

 こちらは、実は万人が感じている事。わたしも、運転中にちょっと崖を見上げたりし、訝って人生を過ごしてきた。歩いているときは訝らない。注意する。

 いかづちにあらで轟くまひるまの横須賀上空戦地に似たり
             斎藤  寛

 港に停泊している空母の艦載機かもしれない。戦闘機が音を立てながら上空をゆく。誰の国の空か分からない。それが日常であれば、まさに戦地のようだ。

 茫として開けし抽山しに娘(こ)が寝入る 仮面ライダーのヘルメットかぶり
             竹内 光江

 茫として、のシリーズ七首から。是非一連で読みたい。この歌は、引き出しを茫として開けるというのがそもそも怪しい行いであるが、そこに娘が寝ている。フラッシュが焚かれたように映像が見える。

2017/11/15

短歌人同人2 その1 2017/11

 ふたりで東へ。
 早川から西湘バイパスに乗る。
 茅ヶ崎で降りる。
 サザン通りを進み、駅前へ。
 目当てのムラサキスポーツを見つける。
 初ムラサキスポーツ。
 まずは四階のトイレへ。
 再び一階へ。
 スケートボードを見る。
 見る。
 聞く。
 教わる。
 車に積んできた息子のクルーザーを持ってきて比べる。
 わたしはクルーザーに。
 妻はセミクルーザーに。
 あれよあれよという間に、ふたりでスケボーデビュー。


 五人の作者の歌、五首を。

 繁らせた葉を削ぐやうに届出の「主婦」に小さくレ点を付けぬ
             河村奈美江

 男には分からない感情の機微がある。それが初句二句の比喩に表れている。小さくが、鮮やかにリアリティを生んでいる。

 切れすぎて恐ろしきゆゑまた仕舞ふ備前福岡一文字包丁
             高島  藍

 福岡とあって、おっと思うけれど、岡山県。日本刀で有名な備前長船にある福岡。日本刀のような包丁と思えば、それはなかなか恐ろしい。

 カンカン帽が似あふ人なりあんみつの好きな人なり 去にてしまひぬ
             佐藤 由美

 賛辞をもって追悼とする。亡くなった側にしても、こんな風にさらりと言ってもらうのが、彼の世へ渡るこころよい露払いに違いない。

 ゆきあひの空眺めつつ祖母(おほはは)の籐の揺り椅子ときをり揺らす
             三島麻亜子

 大概、祖父母の思い出は淡い。自分が祖父、祖母になることを思えば、いつか孫がこんな風に少しでも思い出してくれれば、本望。そんなことを思わせる歌。

 ブルーのシャツ・ブルーの帽子リボン手に四万五千の「新基地はノー」
             謝花 秀子

 現代の沖縄処分の進行に短歌をもって異を唱える。静かな叙述はそのまま強い異となる。平成二十九年十月現在の人口で比べると、東京で四十二万八千人が集まり、ノーと言ったことになる。ノー。

2017/11/13

短歌人会員1 その5 2017/11

 MOA美術館と同じ組織の自然農法農場がある。
 「秋の収穫祭」に家族四人で行く。
 伊豆山中の盆地一つがそのまま農場に。
 良い天気。
 高地なので風は冷たい。
 みんなで畑の畝から葱を抜く。
 出店もたくさん。
 すべて自然食。
 帰り道、峠まできて、
 「ねえ、パラグライダーのところへ行ってみたい。」
 と、妻が言うので車を停める。
 道沿いに、パラグライダーの基地がある。
 いままで行ったことはない。
 わたしだけ車で待っていると、暫くして妻が戻ってくる。
 「乗れることになった。乗りたい!」
 と言う。
 そのまま、乗ることに。
 息子、娘、わたしはそれを見る。
 インストラクターと二人乗りで、妻が空へ。
 強風が吹いている。
 負けずに高々と飛ぶ。
 すごい。
 負ける。


 六人の作者の歌、七首を。

 寝たきりの兄を見舞いて手を出せば握りくる手に力はあらず
             大矢 信夫

 年の離れた兄。高齢となり病を得、寝たきりとなる。嘗ては強い兄であったのに、斯くも弱くなっている。人の悲しい現実。

 カップ酒飲みのみ競馬新聞(しんぶん)睨んでる男の目つきの車谷長吉(ちようきつ)に似て
             黒田 英雄

 酔いどれにして鬼才の小説家、車谷長吉。作者の車谷に対する親近感が出ている。しんぶん、ちようきつ、とルビを振るのは、かなり無理があるけれど、内容が豊かなので目をつむりたくなる。

 青空に突然秋の気配してさらし木綿のやうな風吹く
             海野  雪

 単純なところがとてもいい。空と風だけである。さらし木綿という懐かしい言葉が見せ所。

 川沿いをただ歩むとき何かしら心から、心からという声がしている 
             大平 千賀

 何かしら、は自問ではなく、何か分からないこと、の意と取る。そこはやや迷わせる。心から、という意味深い言葉が重ねられ、そこが魅力的である。

 春の海に沈む夕日をみてをればかたへなる老母(はは)「ジュッ」と言ひたり
             伊東 一如

 これは難しい。ジュッだけが聞えたのか、それ自体の意味を取らなければいけないのか。十匹、十羽一からげ、十戒の冒頭が聞えた? 想像を強いる、それも楽しく強いる歌。

 ここからは、根性論。と秋蟬のかわいたわらいごえがきこえる
             鈴木 杏龍

 夏が終わっているのに鳴く。根性がある。それを、乾いた笑い声ととる作者の個性が光る。

 晴れわたるくがつながつき九階の窓から投下するものがない
             同

 どきりとする歌。天才気質の作者にして、投下するものが無いと言ってくれて、わたしなどはほっとする。植物の鉢や、果ては自分自身などと言い出されると、わたしが眠れなくなる。

2017/11/10

短歌人会員1 その4 2017/11

 早起きをする。
 妻と海辺の公園へ。
 ほとんど人はいない。
 車からスケボーを取り出す。
 軍手を嵌めて、緩やかな傾斜へ。
 傾斜と言えないほどでも、端から乗ると、スケボーはゆっくり動いてゆく。
 向こうから高齢の男性が来る。
 「失礼ですが、おいくつですか。」
 と聞かれて、答えると、
 「素晴らしいですね。いいものを見せて頂きました。」
 と言い、にこにことして立ち去る。
 こんどは高齢の女性が来る。
 「おお、いいわねえ。曾孫が今やっているわよ。夫婦でいいわねえ。」
 と言い、にこにことして立ち去る。
 路上にも会話がある。
 夫婦とはいえ、どちらも負けたくない。
 妻の方が、少し上手い。
 

 六人の作者の歌、七首を。

 死に至りこれかと叫び黙りこむさうしなければならないからだ
             辻  和之

 からだを、体と読むか、理由と読むか唸ってしまう。両方とも相応の価値がある。いずれにしても、不思議な歌である。初句から言えば、主体は死んでゆく瀬戸際におり、断末魔とも言える。

 けふのあめいきてゆくほかありませぬひとのかわきてあたらしき死を
             同

 この歌も悩ましい。人の乾きてか、人の皮着てか、どちらもありそうである。作者から、選べとチャレンジされているような気になる。確信犯なので、瑕疵と言いにくい。

 こみ上げてくるおかしさに耐えながら孫のおませな会話に応ず
             伊藤 直子

 よく分かる。絶対笑って茶化してはいけない。孫のほうは、大真面目なのだから。そうしながら、世界を学び、同時に人の愛情に包まれてゆく。

 まだ少し間があるらしい百合の葉が枯れ尽くすまで茎の棒立ち
             川村 健二

 結句の茎の棒立ちが、鮮やかに生きている。言い切りが潔いだけでなく、イメージがくっきりと立ってくる。結句の効いた一首。

 久久の夏の歌会のをちこちに握手する人、ハグする人も
             神足 弘子

 年に一度の全国歌会。その様子が生き生きと伝わってくる。ただ一つ言えば、久久のは、作者なのか夏の歌会開催そのものなのか、歌からは特定しかねるところがある。

 湧きたちし海霧(じり)に目鼻を奪はれてひとり彷徨ふ道まちがへて
             佐藤 綾華

 北海道の夏の海に発生する濃霧がじり。海に近い処で、作者はじりに遭う。道に迷うほどであるから、相当の濃霧なのだろう。歌は、其の地方独特の現象も教えてくれる。

 たましひの宇宙滞在ミッション終へ蜘蛛膜下出血より帰還せり
             萩島  篤

 作者は生死の境より還ってきた。そんなぎりぎりの時、人は往々にして特殊な経験をする。作者は宇宙に居た。わたしも宇宙に居たことがあるので分かる。