短歌人同人1 その5 2017/3

2017.03.29.11:31

 開花宣言。
 「平家にあらずんば人にあらず。」の趣。
 ついて行けない。
 オオシマザクラのほうがよい。
 いま進行中の「子の会Web歌会」に、高遠小彼岸桜の歌がでている。
 それもいつかみて見たい。

 今日は晴れ。
 温度が上がり、網代湾から相模灘一面、そして箱根も伊豆の山々も靄のなか。


 六人の作者の歌、七首を。

 観るよりは聴きて言葉のふかく残ること多々あればラジオで騒ぐな
              蒔田さくら子

 わたしはテレビを見ながら文句を言う種族に属す。作者はラジオに言う。怒ればいいのだ。黙っていても始まらない。蒔田さんのこんな歌をどんどん見たい。

 「遠くへ行きたい」ジェリー藤尾の古き歌 みんな遠くへいつてしまつた
              同

 「夢で逢いましょう」というテレビ番組があった。そこから始まった。今のお笑い全盛の番組など、足元にも及ばない。そのメンバーで、生きているのは黒柳徹子だけかもしれない。ジェリー藤尾もそこに居た。

 若からずなりゆく皇太子を想う親の心は濠の内にて
              谷村はるか

 皇室を詠うには力が要る。生半可では詠えない。そもそも薩長に担がれて江戸まで遷座した天皇家。その後、大日本帝国軍に担がれ、今、籠池や安倍政権に担がれている。ご本人たちにしたら迷惑この上ない話なのだけれど、その真実はこの歌が一端を示している。

 胸ぐらを掴まれ威嚇されし理由(わけ)思ひ出せずに年末の来ぬ
              宇田川寛之

 人は人のことが分からない。自分のことも分からない。本当は分かっているけれど、分からないことになっている。目の前の実相は、自分が招き寄せている場合が多い。どきどきする歌である。

 特高の靴音、憲兵の走る音聞き分けている耳のさびしさ
              藤原龍一郎

 秘密保護法、そして共謀罪。まさに治安維持法の復活。知らぬ間に、思想警察が普通になり、検束・勾留・逮捕が日常化する。嘗ては、「そんなことあるはずがない。」とみんな思っていたのに、恐ろしい警察国家になった。作者はその音を聞き分ける。それが寂しいのだ。

    取材ビザ申請
 R音苦しく舌を丸めつつ入国乞ひぬガラス戸越しに
              森澤 真理

 一連の題は「アメリカ大使館にて」。国を跨ぐとき、普段は思いもしない壁を実感する。大抵、係員は無表情か居丈高のどちらかである。作者は苦労している。そう思うと、EUは何てすごいことをしているのかと感嘆する。

 ボーナスの現物支給に洗濯機もらひしことも昭和にありき
              杉山 春代

 その時代に歌にしても、ものにならなかった。今これだけ時が移って、こう言われると驚く。三丁目の夕日から、十年ほど後かもしれない。物喜びをする時代。今再び貧困が巡ってきて、時代は戻っているかもしれない。

短歌人同人1 その4 2017/3

2017.03.28.14:03

 窓の外を見ると、青空と雨雲がともにある。
 伊豆半島は、よく寒気と暖気のせめぎあう場所になる。
 かすかに新緑がみえる。
 勢いのあるのは、アジサイとビワ。
 ユキヤナギの小さな花がたくさん咲いてきた。
 いよいよ春。


 四人の作者の歌、四首を。

 三十六のいつも私はかなしくてぼんやり彼はバスを待ってた
              斉藤 斎藤

 主客が入れ替わる。かなしくて、迄は三十六の私である。ぼんやり、からいきなりそれが彼になる。つまり、その私を私が見ていることになる。こんな歌は今までない。主客を勝手に自由に、一首のなかで入れ替える。不条理劇的な新しい視点かもしれない。無理か無理でないか、論議がいる。

 覚めようともがく夢にてゆめはみずうつつはみずとくりかえし聞く
              内山 晶太

 これは「三十六」の歌より、一層複雑である。夢の中の自分とうつつの自分との関係が、すぐには分からない。最後の「聞く」が分からなくする。うつつが聞く「みず」は、夢の中の自分が言っていることになる。この歌も、議論がいる。

 もう夢にあらず現のうつせみの内に籠りてフィルターバブル
              本多  稜

 こんどはまるで、前出の夢の歌のアンチテーゼのように詠われる。偶然なのに必然のような連なり。時代の今を、鋭い観察眼と批評眼で詠う。フィルターバブルとは、FBやTwitterほか、SNSで自分が得たと思っている情報群が、実は強大な検索エンジンの巧妙な操作によってフィルターされている、という現代語。ぞくぞくする恐ろしさが言葉の裏に隠されている。

 理由なく泪あふれてきたりけり冬の街から帰り来たりて
              生沼 義朗

 ここには、もはや理由は語られない。個人的に言えば、理由なく(と自分で思って)涙が溢れて来る、というのは、とても尊いことだと思う。前三者の、主客の溶解、時代の先端を視る目、そのいずれにも、このような涙があるかぎり、わたしは信用できる。

 以上の四氏が、新しく短歌人の編集委員会に加わった。わたしたちと時の、要請する通りになった。ほんとうに喜ばしい。

短歌人同人1 その3 2017/3

2017.03.27.12:20

 曇りと雨。
 真鶴半島の奥に湘南海岸が見える。
 そのまた奥に東京がある。
 その辺りは明るい。
 たぶん東京は晴れ。
 折角開花した桜が、昨日今日の寒波で、また閉じそう。
 

 四人の作者の歌、六首を。

 朴の木の広葉の反りよ悲しくて悲しくてならずひと日さまよふ
              大谷 雅彦

 まるで現代に牧水が帰ってきたようだ。感情語を恐れず、おおらかに、自分の動きを大掴みに詠う。歌が上手くなければ、そんな詠い方は大概凡俗になってしまう。

 腰椎牽引施術十分に二秒眠りき天井に雲
              酒井 佑子

 たぶん、今月の短歌人誌のなかで最も短い歌。小池さんは、最低でも二十二語なければ歌として形が良くないと言う。ただ、酒井さんは例外。重々承知の美意識の上でやっている。二秒眠るというのが、説話を聴いている気になる。

 寄りてかく在らるることもあと幾ばく手を伸べて粗き髪に触れたり
              同

 夫の髪に触れている。在らるるは、尊敬もあるが、初句の主語が自分なので自ずと可能の意味になる。夫婦の縁、情というものを淡々と描く。

 行きどまりといふ感覚の加太にゐる紀淡海峡に船は通はず
              斎藤 典子

 加太、紀淡海峡と、懐かしい語が並ぶ。加太は、山と海に囲まれた和歌山県最西に位置する漁村であり、修験道の霊地であったともいう。大阪方面から南下すると、鄙びた行き止まりに感ずるのだろう。 

 講演に岡山に行きて日がへりす昼も駅弁夜も駅弁
              小池  光

 こういうなんということもない歌が、歌集には絶対に必要だと、清水房雄さんが言っていた。敢えてこんな歌を混ぜる。貴重である。人の一生で、昼も夜も駅弁というのも、そう何回もない。わたし、一回もない。

 夕闇は馬のごとくに濃くなりぬ冬の京都をたちてたちまち
              同

 自分が何かしら意識する特別な場所。そんな場所をたまたま過ぎて直ぐ暗くなる。そうすると、ちょっと特殊な感慨が湧く。馬のごとくに、が光る。

短歌人同人1 その2 2017/3

2017.03.26.16:24

 冷たい雨が降る。
 昨日までは、春の訪れのような気温だった。
 それが、急に冷え込む。
 山は雪かもしれない。
 もう使わないと思ったストーブに、灯油を入れる。
 わたしはまだよい。
 雨ざらしの鳥や動物のことを思う。
 クロマニョン人ならどうしただろう。
 そういえば、昨夜は窓の外の森で、獣が声をだしていた。
 イノシシかアナグマのどちらか。


 六人の作者の歌、六首を。

 思いやりその「やり」にある鈍感をくだいてくだいてトイレに流す
              鶴田 伊津

 思いやりと言いつつ、それは押しつけ・押し売りじゃないか、と作者は思う。しかし、じっと堪えてその思いをトイレに流す。人の思いは、伝わるようで伝わらない。

 蕎麦すすりつつ夫とともに真似をする新垣結衣(ガッキー)の指先だけの「恋ダンス」
              橘  夏生

 たった一首に、よくこれだけの情報を詰めた。最も美しいアイドルは、数年だけもてはやされて、次にバトンタッチされてゆく。今はまさに新垣結衣。旬の歌。

 目つむりて鼻のあたりを掻きをればこばなといへるものありにけり
              真木  勉

 自分の身体の部位を味わうことにかけては、真木さんをまず挙げる。ひとは、なかなか小鼻の存在を味わわない。それだけで優れた歌になる。

 白子椀すすりて加賀の酒を酌む 金沢にわれは誉められたるよ
              小島 熱子

 作者は泉鏡花記念金沢文学賞を受賞された。その授賞式に金沢に赴いた時の歌と思われる。初句でわたしは唾が出てくる。そして加賀の酒。すばらしい。下の句には作者の驚きと感謝がでている。

 みるからに運動神経悪さうなわれと思ひぬ歌をみればわかる
              西橋 美保

 本人がはなからそう思っているので、その目で歌を見た結果、そう見える。その関係が手に取るように歌にみえるところが、また面白い。

 つづまりは煙草の吸ひすぎ にべもなく医師は言ひたり初対面の父に
              洞口 千恵

 これに比べたら、歌会での辛口批評など何ほどのこともない。人(患者)の感覚感情にたいする思いやりの鈍磨している医師も多い。医は仁術のはずであるのに、人間修行を怠れば、斯くの如くになる。どんな職場に働く人であっても、たとえ僧侶であっても同様だ。

短歌人同人1 その1 2017/3

2017.03.24.18:05

 インターネットが突然切れる。
 繋がらない。
 あれこれ、する。
 三日目、万策尽きた気がして行きつけのエディオンへ走る。
 そこにはIT博士の辻さんがいる。
 持参のパソコンとWiFiのルーターを辻さんに診てもらう。
 すべてOK。
 「すると、NTT光の黒い箱ですね。」
 と辻さんが言う。
 家へ帰る。
 NTTへ電話する。
 事細かに指示通り、パソコンを動かす。
 「これはプロバイダーですね。」
 と担当者がいう。
 親切。
 プロバイダーの電話にたどり着くまでに、数時間を要する。
 「引き落としが滞っていますね。」
 と言われる。
 そうか、クレジットカードを切り替えたとき、連絡ができずそのままだった。
 再開してもらう。
 苦労と徒労の三日間。
 いや、腐らない。
 いいこともある。


 四人の作者の歌、六首を。

 元旦の風にひらめく手水舎の手拭白し日に照らされて
              青輝  翼

 手水舎はちょうずや。神社などに必ずある。ハレに入る前に、身に纏うケを浄めるところ。エイゼインシュタインのモンタージュ技法のように、手拭いの白さが浮き出てくる。

 あらたまの筑紫の国の大濠に群れしろじろと浮く百合鷗
              同

 国の大きさから、濠の水面にまでズームインする。雄大な、ゆったりとした詠いぶりで、新年あらたまに相応しい。百合鷗は都鳥の別名がある。

 サ行まだあやしい諒(りょう)が「サンタさん(たんたたん)」と言うので食べたくなるタルトタタン
              猪  幸絵

 何度読んでも、クスリと笑う。タルトタタンは焼き林檎のタルト。美味い。作者の歌の上手さに脱帽。

 君恋し宵闇せまる街かどに貴闘力の焼肉店あり
              柏木 進二

 君恋しは、宵闇にかかる枕詞のように使われている。とくに深い意味はない、と取る。柏木さんは固有名詞の使い方がなんとも上手い。短歌人では、小池さん、柏木さん、宮田さんが、固有名詞遣いの三羽烏。

 病室をまたも移りて出世して寝かされている兄の正月
              同

 病室が、大部屋から次第に中部屋、個室と移ってゆくのだろう。出世と言って自他ともに元気をださせようとしている。様態の深刻化が推測されるわけで、歌には明るい悲しみがある。

 ホース抱へし消防士たちマンションの玄関に向かひ走り寄る見ゆ
              有沢  螢

 ひとは、自分の家や集合住宅に消防士が駆けつけてくるのを、一生の内に見るものだろうか。あっても一回。一回あれば燃えてしまう。一連の歌に、ぼや騒ぎだったとある。よかった。

短歌人同人2 その4 2017/3

2017.03.22.16:31

 晴れる。
 景色は春霞のなか。
 丹沢山がかすかに見える。
 湘南は、まったく見えず。
 暖かい。
 一枚、服を脱ぐ。
 すると、郵便配達の原付の音がする。
 一旦とまり、ブフフフーッと去ってゆく。


 三人の作者の歌、四首を。

 十年間書き続け来し「孤高のメス」十三巻にてピリオド打たむ
              高山 路爛

 作者は医師であり、ベストセラー作家でもある。「孤高のメス」は映画化もされた小説。わたしも最初は短歌人の人と知らずに、この小説を愛読していた。まさにページターナー。

 ”国境なき医師団”に入り戦地にて流れ弾受け死ぬるもよしか
              同

 親しい医師・看護師夫婦が、若い頃「国境なき医師団」にいた。危険な、崇高な仕事である。犠牲者も出る。作者の高い倫理観が分かる。尊敬する。

 江ノ電の窓から冨士が見え始めインド人と席変わりたり
              立花 鏡子

 何度か読んで、分かる。隣り合って座っていたところ、富士山が見えてきたので、隣のインド人に窓際の席を譲ったというのだ。江ノ電、冨士、インド人という道具立てが、なんともエキゾチック。

 人並ぶところに並び五日程も生きられさうなパンを買ひたり
              時本 和子

 人や自分の基本的動作を、簡明に述べると、大概いい歌になる。どんなパンか興味があるが、それは作者にいつか聞けばよい。五日程もいきられそうなパン。パンの描写として、とても面白い。

短歌人同人2 その3 2017/3

2017.03.21.13:53

 終日、雨。
 寒い。
 今日あたり、ソメイヨシノの開花が見られるはずだけれど、この雨では見に行く気がしない。
 窓の外の森を見る。
 落葉樹に、ほんの少しだけ緑の芽や葉が見える。
 新緑も近い。


 五人の作者の歌、六首を。
 
 かれこれ一年姿をみるものなし山寺修象いづこに消えし
              長谷川知哲

 初句四音。アララギの五味保義などがよく使った語法の一つ。短歌をやっていると、毎月の歌会に出ていた人が居なくなるのは、心配であり寂しい。それも親しい人なら尚更。消息は絶たれている。

 一夜にてあかきもみぢは散りにけりそつと踏み入りやさしくなりつ
              同

 急な寒さに堪えられなくなって、葉が一斉に散る。それも夜のうちに。もみじの落葉は綺麗である。重なったその上へ、そっと踏み入ってゆく。

 ローソンの黄金チキン買い帰るクリスマスイブを乗り切るために
              松木  秀

 クリスマスイブは、乗り切る対象である。切迫感ではないが、なにか重苦しい気持ちを伝えて来る。正規・非正規の労働環境、時代の閉塞感、そんなものがコンビニの煌煌とした明るさと、的確に対比される。

 ふたり子を両膝にひとりずつ乗せて『いたずらきかんしゃちゅうちゅう』を読む
              中井 守恵

 ふたり子を両膝にひとりずつ乗せて何々を読む、は日常そのままの図である。歌として成立させるには、「何々」に何を入れるかが勝負。作者の選んだ書名は、語感といい意味の膨らみといい、ぴたりと嵌っている。

 タクシーの運転手さんの細道をよく知ることにわれ喜びぬ
              吉岡  馨

 タクシーには独特の雰囲気がある。一人の人間の統べる空間が移動してゆく。こちらは金を払ってその中へ入る。一言二言話す場合もある。往々にして、近道などに驚かされる。降りると不思議な時間は終わる。

 大小のスプーンをみがく小春日よわたしもむかしは若妻なりし
              取違 克子

 若妻、という一語でしみじみとした歌になっている。若夫とも若婿とも、ちょっと言わない。若殿とは言うけれど、若姫とは言わない。男女の呼称の背景には往々にして屈折がある。そんなことも考えさせる。
  
プロフィール

chitetsu

Author:chitetsu
長谷川知哲
短歌人同人/子の会

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